Je suis Charlie②

Charlie Hebdo襲撃事件

Charlie Hebdoとは

Charlie Hebdoは1970年に誕生しました。しかし実はそれ以前にすでに別の名前で同様の新聞が存在していました。始まりは【Hara-Kiri】(日本語の腹切りのこと)と呼ばれる風刺のきいた新聞でした。
この種の新聞は人々を楽しませながら、社会の悪い部分を非難します。特に教会、王族、政府や宗教など社会的に力のあるものに対して発せられることが多く、人々が抱える問題を明るみに出すわけです。

この新聞はその性質から、多くのトラブルを起こして来ました。そのため、初期には新聞の名前を変えることを余儀なくされました。なんでもシャルルドゴールの死についてのユーモアが問題になったと言う話です。また頻繁に法廷で争うこともありましたが、Charile Hebdo①でお話した通り、フランスには【表現の自由】があり、彼らには何の責任も追及されませんでした。

しかしながら、彼らの表現はイスラム教との間に深刻な緊張状態をもたらすことになるのです。
きっかけは2005年にデンマークの新聞がイスラム教の開祖ムハンマドについての掲載を予定していたにも拘らず、発行後の混乱を恐れ掲載を諦めました。そこでCharlie Hebdoは【表現の自由】の主張を目的に、自らムハンマドを描画しました。
以降、頻繁に脅迫を受け、時には攻撃されることもあったため、警察によって擁護されていました。
しかしついに2015年1月7日、アラビア半島のアルカイダと名乗る2人組の男によってCharlie Hebdoオフィスが襲撃され、スタッフの尊い命が奪われました。

  • Stéphane Charbonnier, 通称 « charb » :ジャーナリスト/描画家
  • Jean Cabut, 通称 « cabu » : カリカチュアリスト/ 描画家
  • Georges Wolinski :描画家
  • Bernard Verlhac, 通称 « Tignous » :カリカチュアリスト/ 描画家
  • Philippe Honoré :描画家/エンジニア
  • Bernard Maris :エコノミスト

Charlie Hebdo襲撃後、犯人たちはパリ郊外の小さな町の工場に立てこもりましたが、フランス警察によって殺害されました。
また、同日、犯人と交流のある人物が婦警を殺害後、ユダヤ人のスーパーマーケットに立てこもり4名を殺害しました。
警察により犯人は殺害されました。

【表現の自由】によりフランスがテロの脅迫を受けるのは今に始まったことではありません。フランスは多くの国(リビア・マリ・コートジボワール・モーリタニア・ナイジェリア・ブルキナファソ・イラクなど)でテロリストと戦い、人々を援助して来ました。そのため、フランスは常にテロの脅威にさらされているのです。
そういった理由から、フランス国内の駅や空港では常にミリタリーが常駐していますが、今回のテロ事件以降その数は爆発的に増えました。

1月11日の日曜日にはフランスのみならず世界中で、テロに抗議し【表現の自由】についての重大性を主張する大規模なデモが行われました。
フランスでは350万人、パリだけでも150万人の人々がこのデモに参加したということです。
パリのデモの様子
パリの様子。

モンペリエのデモ
モンペリエの様子

マルセイユのデモの様子
マルセイユの様子

ニースのデモの様子
ニースの様子